水草の日記

にkkkkkkっき

日記と雑記

今日は久しぶりにちゃんと布団で寝た。寝相が悪いせいで起きたときには床だったが。

パソコン、スマホでネットサーフィンしている時間を雑に計算してみたら、3時間とちょっとだった。まあそんなもんか。
今日は、朝からスマホをトイレに置いて、触らないように心がけていた。
パソコンは普通に触れる状況だったが、スマホよりだらだらと使用しないから、まあ気にしないことにした。
だから、3時間と少しというのは、僕の普段のレベルよりかなり少ないだろうな。普段であれば、5時間とか6時間とかいってそう。
スマホだけならスクリーンタイムを見ればわかるが。
30分単位で数えたが数えたことで、そろそろやめるか、と思って使用時間が減った分もあると思う。
使いすぎであることには変わりはないだろう。しかし、3時間という結果に不満はない。このことは後半に言いたいことにもかかわる。

勉強時間は30分程度だった。これでも精いっぱい。なまりきっているせいでもあるだろうが、一番は前ほど勉強そのものに熱心ではないからだろう。
勉強に価値を見いだせないのは、受験期が終わったあたりに罹って、いまだに改善の余地を見せない病だ。なんてな。
まあ半分本当で、困っている。変な困り方をしている。
高校生の頃の勉強のきっかけはなんだったろう。いい成績をとること、いい成績を取って優越感に浸ったり、自分は特別なんだと(尊大にも)思ったり、
パズルを解くような楽しさ、がんばれば報われるという結果に裏付けられた自信、、、、、
これらはほとんど失われてしまった。いい成績は取れない。オンライン授業なので、たとえ取っても優越感はないし、優越感を感じれるほどこの大学で勝ち抜いていける自信がないからモチベーションが湧かない。頑張らなければ、それに拍車がかかってどんどん解けなくなる、わからなくなる。パズル的な楽しさなど見いだせるわけもない。

今、勉強を頑張っている人たち―この大学では大半がそうだろう―は、どういうモチベ―ジョンで頑張っているんだろうか。
OB・OGの人たちからアドバイスを聞く授業があるんだけど、そこではけっこう将来の展望がはっきりと決まっている人が多くて、そういう人たちは、勉強のモチベーションは明らかだろうな。いいなあ。
彼らは、たとえ一般教養科目それ自体に興味がなくても、将来行きたい学部というのが明確であるから努力できるんだろうな。俺だって、大学受験で努力できたのは、行きたい大学が(とりあえずであったとしても)明確に決めていたからだと思う。確固たる目的があれば多少の苦みでも我慢してやろうと思える。
今の僕にはそれがない。動機が純粋か、不純かだなんて野暮な話は止めよう。問題は、それが本物かどうかだ。本当に動機として機能しているかどうかだ。だから、人から与えられた高尚そうな動機には何の価値もない。そんなん持つくらいなら、お金持ちになりたいとかモテたいとか揶揄されそうな動機でも本気になって頑張れるならそのほうが何倍もいい。
まあ、そんな風に分析(笑)をしても、僕に動機は湧いてこないんだがね。高校までは頑張れたのに、どうして。堂々巡りしているな。
いやな焦燥感を感じる。この手のことを考え始めるといつもそう。結論を急いでしまう。焦るな。