水草の日記

にkkkkkkっき

おしまい

この文章は、「何者にもなれない病」に苦しんできた自分が、今後なるべくこの「何者にもなれない病」をこじらせることなく生きていけるようにまとめられたものである。今までも、似たような体裁の文章は幾度となく書いてきた。しかし、今までのものは、「何者にもなれない病」の熱に浮かされて書いたもので、きざな詩的表現をして悦に入ったり、自分の(ありもしない)文才を自画自賛するというのが裏の目的としてあった。自分の鬱積した感情を、感傷的に吐き出すことに意味があると思い込んでいた。
だが、今回は違う(そうしたいと思っている)。結論から言うと、今回の文章では「何者にもなれない病」に対する最良の薬は「考えないこと」だということを主張したい。しかし、この答えはどうも煮え切らない。それゆえに、もっと良い対策法があるのではと何時間も何日も考えたり、「何者にもなれない病」のドツボにハマって苦しむということになりがちだ。なので、将来自分が「何者にもなれない病」を再発したとき、「考えないこと」が最良の方法だ、と言ってもそれだけでは耳を貸さない可能性が非常に高い。そこでわざわざ長い文章をこしらえて説得するのである。

なぜこんな文章を書こうと思ったか。それはYoutubeでとある動画を発見したことによる。URLを貼っておく。概要は30代無職のおじさんが「何者にもなれない病」で年月を無駄にしたことを悔やむという十数分の動画である。自分はこの動画がとても他人事には思えなかった。なぜなら、自分自身「何者にもなれない病」に侵されている自覚があったからだ。
動画にもあるように、「何者にもなれない病」を発症すると、世界で自分だけが苦しんでいると思い込んだり、無駄な努力をして何も進歩していないくせに前進している気にはなったりといった症状が出る。これらの症状のせいで、人一倍(勝手に)苦しむくせに成果は出さず、無駄に時間だけを浪費するということになる。しかし当人はその自覚がない。だから永遠に抜け出せないループにハマる。
「何者にもなれない病」患者だと、上記のメカニズムは理解できるのだが、どうも自分はそのメカニズムから除外してしまうようだ。無駄に苦しんでいるのはいつか報われると思い込む(腹の底ではかすかな違和感や劣等感を抱えながら)。

以下では自分が「何者にもなれない病」をこじらせて、主に大学に入学してからやってきた数々の過ちを見ていこう。
・何者かになりたくてYoutubeを始める。かといって、本気で成功するために努力するわけでもなく、つまらない需要皆無な動画を4か月程度に渡って挙げ続ける。kouichitvなどのようにナゾなジャンルとして運よく当たってくれないかと願うだけ。もちろん空振り。これだけではまだよかったが、動画撮影を言い訳にして学業を怠る。心理的には、秦の目標は学業をさぼることで、Youtube投稿は隠れ蓑だったのだろう。
・生きる意味が分からない→勉強する意味が分からないというのを理由にして、本格的に学業を怠り始める。本人は人生規模の大問題に取り組んでいるつもりなので、大学の課題という「小さな問題」は後回しにしてよいという言い訳。実際には一日のほとんどをYoutubeやネットサーフィンに費やし、夜が更けてから少し考えるだけ(実際には考えるというよりただただ落ち込んでいるに過ぎない)。
・何者かになれないと意味がないという思考回路なので、勉強するにつけても一流のエンジニアだとか天才科学者だとかになれないかぎりは意味がないと思い込んでしまう。そのため、自分に課すハードルが異様に高く、勝手にキャパオーバーになり破綻、あああ俺はやっぱり天才じゃないんだと落ち込む。H岡さんやG空を引き合いに出してさらに落ち込む(天才になるには彼らと同等、もしくはそれ以上にならなければいけないという理屈)。また、難しい箇所に差し掛かると、あああ天才だったらまごまごすることなく一瞬で理解できるんだろうなあ、こんなところで詰まる自分は天才ではないんだあああと思って粘り強く考えることも放棄し始める。シンプルについていけなくなる。その結果どんどん勉強自体嫌いになってしまう。
youtubeやネットサーフィンに明け暮れる日々を送りながらも、そんな体たらくな日々の延長線上に自分が望む「何者か」があるわけではないということはわかるので、焦って、なにか新しいことを始めようとし始める。しかし、いままで自分が最も順当に歩んできたと言っても過言ではない学問の道は辛いので避け、ギターを買ったり、小説を書こうとしたり、作曲家になろうと音楽理論をかじったり、またもやYoutubeに動画投稿しようかと画策したり、下手な詩を書いたり、ゲームを作ろうとしたり、プログラミングをしようとしたり、と迷走し始める。どの道も「何者か」になるのだとしたら険しい道のりに違いないのに、勉強で挫折したのと同じ要領で、辛くなると諦めてしまって中途半端に終わる。
・突然我に返っては「何者にもなれない病」で生活が荒廃していることに気づき、生活をリセットしようとして、一人で勝手に反省文をしたためたり、自己啓発本を読み漁ったりし始める。これらは「何者にもなれない病」の一般的な症状で、努力しているふりをしているに過ぎない。つらくないことにエネルギーを割いて、本当にやらなくちゃいけない大学の課題は先延ばしにしてしまう。また、こうしたときに生きる意味だとか人生の価値だとか壮大なテーマに悩みだす(これも結局は大学の課題を先延ばしにする言い訳に過ぎなかったのだろう)。

ざっと書いた。現状、自分は2か月弱大学の課題を一切やっていない。自分の怠惰が原因で留年するかもしれない。一時は本当に心が病んでカウンセラーに相談しに行った(目的論的に言えば、それも甘えだったのかもしれないが)。それほどにまで「何者にもなれない病」は恐ろしいのだ。それが伝わってほしい。今、「自分は生きる意味という重大な問題に取り組んでいるんだ」とか「自分探しをしているんだ」とか言うのであれば問うてほしい。本当に「それ」に全力投球しているのか?本当に一日中やっているのか?はっきりとYesと言えないのならば、多かれ少なかれそれは甘えるための口実だろう。どのみち全力投球しない限りは「何者か」になんてなれやしない。
「何者にもなれない病」患者は努力しない。一見努力してるかのように見える行動をすることはあっても、辛いことは避けている。「何者にもなれない」と嘆きながら結局は逃げている。
「何者にもなれない病」から脱却したところで「何者か」になれるわけではない。ただ、一人で勝手に苦しむことはなくなるだろう。もっと現実的な問題で苦しむことはあっても。
さあ、頼むから同じ過ちを繰り返すのはもうやめてくれ。完璧にできなくても、「何者か」になれなくてもいいから、せめて現実的な問題で苦しむんだ。