水草の日記

にkkkkkkっき

つまらない人生

こんなこと言うと、自分の中の善人が、この世の中には生きるのでさえ精いっぱいの人がいるのにお前はなんて貪欲なんだと叱りつけてくる。
たしかに今の俺は少なくとも飢えて死にそうにはなっていないし、重い病気を抱えているわけでもない。しかし、それがわかっていても、この胸のモヤモヤが晴れるわけではない。もし俺が彼らの立場だったら、今の俺みたいな人を見たら怒りがこみあげてくるのかもしれない。しかし、だからと言って、この胸のモヤモヤが晴れるわけではない。
俺だって俺なりに必死なんだよ、と言ってみる。自分で言っておいて、都合のいい言葉だとつくづく思う。寝る時間も起きる時間も自由で、親の金で十分な飯を食え、なにかやらなければならない仕事もない人間が、「必死」だと?そう、自分でさえ思う。でも、本当に苦しいことには間違いはないのだ。
だからこの気持ちはきっと誰もわかってくれない。人はみな、外面だけで人の内面までも判断できると思っている。
もほや学生とは名ばかりのニートだな。例えば、平日5日働いて、休日2日休養を取るような、ごく普通の労働をしている人から見れば、ニートは週7日休日がある人のように見えるだろう。そしてその人は考える。
「あいつは働く苦労もないし、俺が週2日しか許されていない自由時間が7日もあるのだ。さぞかし、悩みもなくて気が楽なんだろうなあ。」と。
でも、事態はそう簡単ではない。他人の気持ちを知るには他人の立場にならなければいけないからだ。
ニートには平日、休日の概念がない。だから、平日の疲れをいやすとか、自由に使える時間を堪能するとかの普通に働いている人が休日に抱く魅力を、ニートはほとんど味わっていない。語弊を恐れずに言うと、平日があるからこそ休日のありがたみがわかるというわけだ。
これは別にニートが甘ったれた性格だからというわけではない。つまり、人間は何事にも慣れる生き物だからだ。