水草の日記

にkkkkkkっき

無題

現実を見るだけ。自分を取り巻く、自分に付随している問題だけを見る。世界の貧困だとか、ありふれたストーリーとかはどうでもいい。
夢の世界を見ないと言い換えてもいい。ブログもそう。これは自分の現実的な生活の何の足しにも変化にもならない。
ツイッターも、Youtubeも、2chも。見なくていい。世界のどこかで誰かが偉業を成し遂げたことや、スキャンダルを晒したことは見なくてもいい。
見るべきは、今俺がたいして快適でもない狭いワンルームに閉じこもりがちになっていて、日がな悪い姿勢でいるから首が痛いってことだ。世の中にはもっと不幸な人がいるとか、視野を広く持つ必要もない。あと見るべきは、スーパーの買い出しとか、いろいろ面倒な雑務とかだ。遠い将来の心配もいらない。明日、いや次の瞬間どうするかに落とし込まなければ意味がない。
夢に描いたような理想の生活は、実際にやってみれば現実との齟齬に気づくだろう。世界が苦しみで満ちていようが、喜びで満ちていようが、この狭い部屋の自分が頭を悩ます必要があるだろうか?そういうスケールのでかい話が、今後自分の身の上にかかわらないとは言い切れない。だが、その可能性は低いし。仮にかかわることがあったとしても、その時は”より具体的な形に化けて”降りかかってくる。
とどのつまり、世界が苦しみで満ちているとかそういうのは、一種の解釈、表現であって、事実ではない。失業率は年々上昇しています、貧富の差は年々悪化しています、戦争は相変わらずなくなりません、みたいなことから帰納的に総評しているに過ぎない。これらが全くの無駄とまでは言わないが、悪く言えば所詮言葉遊びだ。
だから、自分が向き合うのは”世界の苦しみ”ではなく、失業率の低下や貧富の差、戦争という事実ということになるが、これらでさえまだ不十分かもしれない。本当に自分に降りかかってくるとすれば、”どこにも内定しないこと”とか、”働けど給料が上がらないこと”とか、”ある日空から爆弾が降ってくること”とかだ。ほら、これら三つ、今の自分にかかわりがあると思うだろうか。取り巻いているか、付随しているか。少なくとも、対処できない不安は考えるだけ損だ。