水草の日記

にkkkkkkっき

今まで僕は

なにをやってきたんだろう。
僕の人生に何の意味があるんだろう。

よくある考え方を列挙し、順に愚痴ろう。

一つには、①生命は偶然誕生したに過ぎない。人生の意味なんてものは、たまたま知能を発達させた人間が勝手に考えてるだけのシロモノ。そこらへんに生えてる雑草とか小うるさいハエとかがDNAに従ってせっせと生きているのを見れば明らかだろう。というやつ。
確かにそうなのかもしれない。唯物論的。こういうこと言う人は、感情とかも脳内での化学反応に過ぎないとかいうんだろうな。この説を唱えてる人は、単に論駁して知的ぶりたかっただけなのだろうか、それとも、この説に心底納得し、人生が平穏になっているのだろうか。自分は、そういうやつらは前者だとしか思えない。あくまで自分自身の感じ方に過ぎないだろうが、自分はこの説を聞いたところで、人生は全く楽にならなかった。だって、考えちゃうんだもん、人生の意味とか。この説で人生が平穏になるという人は、なるほどそうですかと思考停止できる人だろうな。自分には難しかった。それがまず一つ。加えて、考えても無駄、思考停止したほうがいいんだよというのがこの説の要旨ならば、それさえ伝えるならば、わざわざDNAとか生命の誕生の歴史とか持ち出すまでもない、ということだ。だって、宗教の多くがこの要旨を満たすだろう。もっともその場合は、生きる意味はない、というのではなく、隣人を愛するとか礼拝をするとか、かくかくしかじかが生きる意味なんだ!と聖書や経典の中で説かれるのだろうが。それでも、思考停止の要件は満たしている。だから、ある意味でこの考え方は科学という神をよりどころにした宗教みたいなものだ。批判しているわけではないが、この考え方は科学的に正しい分、聖書をよりどころとするもろもろの宗教より優れているというわけではない、とは思う。この説を唱える人はそうは思わないのではないか。人類の叡智を誇り、それを知っている己を誇っているだろう。そんなわけで自分はこの考え方がどうも合わない。

こんなのもある。、、、、めんどくなった