水草の日記

にkkkkkkっき

目を覚ました

やはり、他人など信用ならない。


今後のことを話そうとしても、全然耳を貸さないじゃないか。自説の1点張りをするだけで、俺の意見に対して反応するなどはない。
その結果、きっと今頃は、ただ単に俺の機嫌が悪かったんだと解釈している。自分と同じように、すべての人が短絡的に動いていると思っているから。

他人を信用して、仲良くしたりうまくやろうとしたりするのはやはり間違いだった。
俺はもともと他人を信用したりはしなかったはずだ。しかし、半年間ほぼ完全な孤独の中生活したためか、楽観的な説明スタイルを身に着けようとしたためか、他人の温もりを恋しいと思ってしまった。誰かに本当に理解されるという想像上の幸せを、あさましくも望んでしまった。
それに、将来に対する不安、また、人間の生からは切り離すことのできない様々な不安から目を背けていた。楽観的な説明スタイルを身に着けたら、少しは生きやすくなるだろうという計算はあってのことだし、その方が生活がうまく回っていたのは確かだ。
しかしどちらも現実を正しくとらえてはいないのだろう。やはり、他人は信用ならない。将来の不安、人生の不安は消えることはない。
うつ病の人のほうが現実を正しく認識しているという研究もある。健常な人、つまり大多数の人は、自分に都合のいい解釈をするのだろう。
彼らのほうが過度に楽観的だというのに、相対的な問題で、現実を正しく認識している者が病気とされている。
他人は信用ならない。誰かに理解される喜びなんて存在しない。儚いものだ、人間というのは。