水草の日記

にkkkkkkっき

最近、昼間は図書館で勉強している。もっぱら物理と数学をやっている。
毎日8時間くらい勉強できたら、「自分は毎日頑張っている」と胸を張って言えるが、自分にはそれほどの根気も情熱もないらしい。
自分の物理への情熱はせいぜい、ほどほど、なのだろう。平均すると毎日4~5時間も勉強すると飽きてしまう。
もっとできる日もあれば、ほとんどやらない日もある。
バイトもサークルもやっていないため自由に使える時間はたっぷりあるというのに、それを十分に生かしきれていないという情けなさ、行き場のない罪悪感を時折感じる。
しかし、精神的に具合が悪くならないよう、なるべく深く考えないようにしている。それに対する罪悪感もあるが。
朝はだいたい同じくらいの時間に起きれているし、夜もだいたい同じくらいの時間に寝れている。
睡眠時間も取れている。食事は朝、夕の二回だけとっているが、昼飯を抜いている分たくさん食べているので無理をしているというわけではない。野菜は高かったり、料理が面倒だったり、何かと理由をつけて食べるのがおろそかになりがちだが、それでも意識的に食べるようにはしている。
数日に一度は大学構内を走っている。一回十数分ほど。運動不足の解消には十分とは言えない量だが、運動が苦手な自分にしてはよくやれているほうだと思う。
風呂上りには柔軟体操をする。最近は億劫がってしまっているが、少し体が柔らかくなったのを感じる。
夕食時から風呂に入るまでの時間は、だいたいYoutubeを観て過ごす。正直Youtubeには毎日数時間を費やせるほどの面白い動画はないと思うが、つい癖で観てしまう。この時間をもっと有効に活用すべきではないかとはだいぶ前から思っているが、今のところ癖は治せていない。
こんなもんだ。俺の生活というのは。
なぜ突然つまらないことを書こうと思い立ったかというと、自分の生活は自分が思っている以上に幸せなのではないかと思ってそれを確認したかったからだ。
自分は生活に不満ばかり抱いていた。丸一日誰とも話さない日がしばしばあるくらい孤独で寂しいこと、勉強に打ち込めないこと、Youtubeを余計に見てしまうこと、自分が同世代の人に比べて様々な点で後れを取っているのではないかということ…列挙すればキリがない。
だがそれらは、幸福の裏返しなのではないかと思った。言ってみれば、どの悩みも些事だ。孤独が何だ、集中力に欠くのが何だ。
どれも俺の命を奪ったりはしない。
むしろ、これだけ自由に使える時間があって、飯が食えて、勉強できる環境がある。それらがどれだけありがたいことか。
自分がこうして退屈すぎるほど平穏な暮らしを送れているのは、きっと当たり前じゃないだろう。
だから俺はやはり物理を勉強しようと思う。学問を極めようとか、そういう熱意があるわけではないが、今学ぶことをやめたらきっと後悔する。後悔の種をひとつひとつ潰していこう。たとえ、望んだものが得られなくても、とことんやりぬいた先に得られる諦めは、きっと穏やかなものだろうから。