水草の日記

にkkkkkkっき

かわいそうなひと

年の功、という言葉はよくない言葉だと思う。
ことわざや昔から言われていることだからと言って、それが信用に足ることの証明にはならない。
年の功なんて都合の良いものは存在しない。歳月を過ごすことは人を成長させない。
しかし、そういった意味の言葉があると、その意味が実在するかのように感じられるから、恐ろしい。
だから、昔から年の功と言ってね・・・と話を切り出されると、その時点で聞く気が半減してしまう。
そんなわけで、年の功という言葉は、ある。しかし、その言葉が表す意味は、ない。
人は成長しない。自力で歩きださない限りは、いつまでたっても。
今日、小さな失敗、癒えた傷口を執拗に攻撃する人を見た。もう50代後半といった風貌なのだが、中身は成長していないんだろう。
他人の気持ちがわからないのだろう。そうやって、そのやり方で、何十年も生きてきたんだろう。
もはや、その性質が変わることはないと思う。長年やってきた方法論を手放すことは容易ではない。
それに、そのやり口が悪いものとも、人を傷つけているとも思っていないから、手放そうという発想すらないに違いない。
同じ人間である以上は、俺にもそういった側面があるのだろうな。嫌なことに。
俺自身、「いい人」ではない。しかし、最低限の良識は持っているつもりなのは、
ルネ・デカルトが『方法序説』において述べたとおりである。
それは、ある意味で危険である。